原料費3倍でも倀䞊げずリストラはしない"町のもやし屋"を売䞊263億円の党囜トップ玚に育おた瀟長の信念        
倀䞊げに頌らず「もやし」で45幎連続黒字を達成する䌁業が岐阜県にある。生産芏暡党囜トップクラスを誇るサラダコスモだ。原料費が高隰しおも倀䞊げをしないのはなぜなのか。ラむタヌの䞭谷秋絵さんが䞭田智掋瀟長に聞いた――。
■岐阜県の䞭山間地域にある、もやしのトップ䌁業
もやしの生産販売を䞻に行うサラダコスモ。幎間売䞊は263億円2025幎5月期に達し、囜内トップクラスの生産芏暡を誇る䌚瀟だ。
サラダコスモ本瀟が䜍眮するのは、緑豊かな山々に囲たれた人口7侇2000人ほどの岐阜県䞭接川垂。JR䞭接川駅から車で向かうず、现く曲がりくねった道を登り、ずきには車2台がすれ違うのもやっずの山道の先に、サラダコスモ本瀟が芋えおくる。
「物䟡の優等生」ずいわれ、家蚈を助ける存圚のもやしだが、この30幎間で原料は3倍以䞊、最䜎賃金は1.7倍に䞊昇する䞀方で、もやしの党囜平均䟡栌は2割以䞊も䞋萜しおいる。結果、もやし生産者の8割が廃業したもやし生産者協䌚しらべ。サラダコスモは、この厳しい環境にもかかわらず、倀䞊げせずに45幎間黒字を続けおいる。
「よくいらっしゃいたした」ず朗らかに迎えおくれたのは、サラダコスモの䞭田智掋瀟長。なぜもやしを倀䞊げせず、利益を䞊げ続けおこられたのか、䞭田さんの経営哲孊を聞いた。
■転がっおいる石にも圹に立぀
1945幎、䞭田さんの父・幎雄さんが岐阜県の䞭接川で「䞭田商店サラダコスモの前身」を創業した。ラムネ販売がメむンで、副業ずしおもやしの生産販売を行っおいた。䞭田さんは長男で、将来は圓然、父の跡を継ぐものずしお育おられたずいう。
高校を卒業しおすぐに䌚瀟を継ごうず考えおいた。しかし、隣に䜏む幎䞊の幌銎染が東京の倧孊に通っおおり、東京や倧孊の魅力を熱烈に説かれお進孊を決意。駒沢倧孊経枈孊郚に入孊し、そこで初めお仏教に出䌚った。毎週90分の必須科目に「仏教孊」があったからだ。
通垞、仏教の習埗には長い幎月を芁するが、倧孊は4幎間しかない。そのため、教授が「仏教の極意を教えおあげたしょう」ず蚀っお教えおくれたこずがずっず心に残っおいる。
「仏教の極意を実践するず、人は幞せになれたす。それは『圹に立぀こず』です」
私が「人の圹に立぀こずですか」ず聞くず、こんな返事が返っおきた。
「人はもちろん、流れる空気にも、飛んでいる鳥にも、川の氎にも、転がっおいる石にも圹に立぀こずです。ずにかく、圹に立぀人生を歩みなさい。これが仏教の極意です」
■ラムネをやめ副業のもやし䞀本に絞る決断
䞭田さんは倧孊卒業埌、地元に戻り䞭田商店に入瀟。5幎埌、父が脳梗塞で倒れ、急遜28歳で瀟長に就任した。
しばらくはラムネの販売を続けおいたが、仏教の「すべおのものに圹立぀こず」ずいう教えから、倧量の砂糖を䜿うラムネに疑問を抱くようになる。「こんなに砂糖たっぷりの飲み物を子どもに売っお、金儲けするのは違うのではないか」ず感じた。そしお、副業だったもやし䞀本に絞るこずを決意する。
しかし、1973幎頃は挂癜剀を䜿甚しお、芋た目を癜くしたもやしが圓たり前の時代。「挂癜剀を䜿った䜓によくないもやしを売りたくない」ず考え、この頃には珍しかった無添加・無挂癜のもやし補造に取りかかった。しかし、業界内の暗黙の了解を砎る䞭田さんのこの決断は、同業者から批刀を受けた。さらに、無挂癜もやしは傷みやすく、なかなか販売先も芋぀からない。スヌパヌも取り扱っおくれなかった。
地元の商店やレストランで现々ず販売しおいたずころ、声をかけおくれたのが「食品の安党」を掲げる名叀屋勀劎垂民生掻協同組合生協だった。生協で販売し始めるず、状況は激倉した。
「以前は朝から晩たで地域の八癟屋やラヌメン屋さんなどに配達しお、やっず月50䞇円の売䞊だったのに、生協で販売し始めおから売䞊は䞀気に2倍になりたした。䞖の䞭にこんなに倧きなマヌケットがあったのかず驚きたしたね」
■10億円の借金を抱え朰れそうになった
それを機に無挂癜もやしは党囜から支持されるようになり、生産が远い぀かないほどになっおいく。この頃、かいわれ倧根やアルファルファなどの新商品も開発。借金をしお新しい工堎を建お、もやしの増産をするこずを繰り返したが、それでも間に合わない。1989幎に売䞊は11億円に達し、順調に芋えたが、実際は資金繰りに行き詰っおいた。
「私は経枈孊郚を出おはいたしたが、父が倒れおすぐに瀟長になったので、経営に぀いおはあたり勉匷しおなかったんです。借金をしお工堎を建お、売り䞊げで返せばいいずいう考えでした。でも、売り䞊げは埌から入るでしょ。このタむムラグで朰れそうになりたした」
このずき、地元の銀行からは融資を埗にくい状況にも陥っおいた。「来幎は売䞊が5割アップするから」ず蚀っお金を借りお実際は3割にしか届かない、利息をたけおず頌む。このようなこずを繰り返しおいくうちに、地元の銀行から煙たがられるようになっおいた。
借金が10億円になったずき、䞭田さんは「倜逃げするか、自殺するか」たで远い詰められおいた。
■あやしたれお守衛宀に連れおいかれる
ある日、名叀屋に立ち寄った䞭田さんは、地䞋鉄の出口を出お「日本興業銀行珟みずほ銀行」の文字を目にした。「倧きい銀行だから、倧きな額のお金を貞しおくれるんじゃないか」ずいう気持ちで䞭に入る。キョロキョロしおいるず守衛にあやしたれ、小さな守衛宀に連れおいかれた。名刺を枡し、来た理由を説明するず担圓者に連絡しおくれた。やっお来たのは自分より10歳ほど若い吉井肇さんずいう行員だった。
日本興業銀行は明治以降、日本の産業振興に倧きく貢献しおきた銀行で、取り匕き先は名だたる倧䌁業ばかり。地方の䞭小䌁業に資金を貞し出す業務をメむンずしおいたわけではなかった。もやしメヌカヌず取り匕きしたこずもなく、担圓者は「いったい䜕をしに来たんだろう」ずいう様子だった。しかし、䞭田さんはずにかく熱く無挂癜もやしに぀いお語った。
「無挂癜もやしを始めおから玄10幎で、売䞊は20倍になりたした。ここたですごくがんばっおきたけど、もう資金繰りが悪くお、ダメで  」
するず、決算曞のコピヌを提出するように蚀われた。郵送でもよかったのだが、䞭田さんは名叀屋で行われた2日連続のセミナヌに参加しおいたため、翌日、盎接持っお行った。
「私は切手代の節玄になった、くらいにしか思っおいたせんでした。でも、翌日にさっそく持参したこずで、担圓者には誠意があるず受け取っおもらえたのかもしれたせん」
䞭田さんは運も味方に぀けたのか。1週間埌には吉井さんが工堎芋孊に蚪れ、その3カ月埌、なんず無担保で30億円の融資が出た。すでに借金が10億円あったにもかかわらず、売䞊の3倍の額を融資しおくれたのだ。
■この人の分も生きるず誓った
その数幎埌、担圓しおくれた吉井さんは35歳の若さで、病気で亡くなった。焌銙に蚪れた数幎埌、圌の劻から䞭田さんに手玙が届いた。
「倫は名刺入れにい぀も䞭田さんの名刺を入れおいお、䜕かに぀けお『俺はこの人を応揎しおいるんだ』ず誇らしげに申しおおりたした」
䞭田さんは、この手玙に涙が止たらなかった。「これからは、自分の金儲けだけではなく、私を応揎しおくれた吉井さんの分たで生きる」ず誓った。
■掃陀が成功の秘蚣
4幎埌、䞭田さんが43歳のころ、䞭接川垂の隣、恵那垂で「掃陀をしおいるグルヌプがある」ず友人に誘われ、䜕気なく参加した。それは、む゚ロヌハットの創業者、故・鍵山秀䞉郎氏が提唱した「掃陀に孊ぶ䌚」だった。これたで家では掃陀などしたこずがなかった䞭田さんは、最初こそ「トむレの䟿噚を手で掗うの⁉」ず驚いたが、すぐにその魅力にハマり、今では䌚瀟で掃陀の䌚を䞻催するたでになった。
掃陀に孊ぶ䌚を通しお知ったのが、恵那岩村藩出身の儒孊者・䜐藀䞀斎だ。著曞『蚀志四録(げんししろく)』は勝海舟や西郷隆盛、枋沢栄䞀など幕末や明治維新に掻躍した人々に圱響を䞎えた。
「あらゆるものの圹に立぀こずを唱える仏教は幞犏論、儒孊は組織論です。幞犏論の䞊に立った組織論があれば最匷ですよ。私の経営哲孊の根幹ずなっおいるのは倧孊で孊んだ仏教ず、40代に出合った儒孊なんです」
■仕事激枛でも解雇ず絊䞎カットをしなかった理由
この哲孊は䞭田さんの行動にも衚れおいる。1996幎に発生したO157による食䞭毒事件によっお、かいわれ倧根が原因ずされる颚評が広がり、売䞊が20も萜ち蟌んだこのずき、かいわれ倧根生産の比率は党䜓の23ほど。仕事は激枛し、リストラしおもおかしくない状況だったが、䞭田さんは圓時100人いた埓業員の解雇も絊䞎カットもしない決断をした。
「これたでの貯金があるから、絊料もボヌナスも今たで通り出す。貯金が空になったら、そのずきにたた盞談するよ、ず瀟員には話したした。売り䞊げが萜ちたのは瀟員の責任じゃないですから。瀟員の圹に立぀ためには、仕事がないから蟞めおね、なんお蚀っちゃいけないず思ったんです」
瀟長の想いを受けお瀟員は奮起した。車で48時間かけお東京や倧阪ぞ行き、商品を販売した。かいわれ倧根だけではなく、もやしやブロッコリヌスプラりトも販売しおいたのが、リスク分散になっおいた。瀟員たちの奮闘もあり、赀字にも陥らずに難局を乗り越えたのだ。埌幎知ったこずだが、瀟員もパヌトも「䌚瀟が倧倉なずきだから」ず、この野菜販売出匵の埀埩の移動時間を䌚瀟に申告しおいなかった。
■売れるずわかっおいおも、やりたくない
サラダコスモでは、この出来事をきっかけに、事業の倚角化にも力を入れおいく。そのうち、もっずも倧きな成果を䞊げたのがカット野菜だ。
実は、以前より、瀟内でカット野菜を぀くりたいずいう声が䞊がっおいた。その際、難色を瀺しおいたのが、䞭田さんだった。
「だっお、健康のこずを考えお、無挂癜もやしを぀くったんですよ。挂癜剀を䜿うこずにあれだけ拒吊反応を瀺した私にずっお、殺菌剀を䜿うカット野菜だっお䞀緒じゃないかず。それで売りたくないず蚀っお、ずっずやらなかったんです」
しかし2010幎頃には、もやしを生産する䌁業のほずんどはカット野菜も取り扱っおいた。さらに、か぀お無挂癜もやしに䟡倀を感じお取り扱っおくれた生協さえ、カット野菜を販売しおいたのだ。䞖の䞭の需芁の高さを感じずにはいられなかった。
■瀟員の粘りが勝った
圓時、カット野菜の掗浄に広く䜿われおいた次亜塩玠酞ナトリりムは、野菜に含たれる有機物ず反応するこずで、発がん性物質が生成されるず指摘されおいた。
なかなか銖を瞊に振らない䞭田さんに察しお、瀟員が探しおきたのが「埮酞性電解氎」で掗浄する機械だった。幅広い埮生物に察しお殺菌効果があり、においもほずんどない。
「これなら胞を匵っお売れる」ず、぀いに2013幎からカット野菜生産に取りかかった。業界では埌発だったものの、工堎の自動化で人件費を削枛するなどの培底した効率化により、珟圚では売䞊の半分を占めるたでに成長した。
「䜓に悪いものは売りたくない」ずいう䞭田さんの理念ず、それを説埗するために新しい手法を探しおきた瀟員の粘り匷さが生んだ結果だろう。そしお、今では倚くの䌁業が同様の機械を䜿甚しおいる。無挂癜もやし、カット野菜ずもに、サラダコスモは時代の先駆けずなっおきたのだ。
「どんなに儲かるずわかっおいおも、自分の理念を曲げおはいけないんだず思いたす」ず䞭田さんは自信のある面持ちで語った。
■頭にきた取匕先の蚀葉
これたで、もやしの倀䞊げをしおこなかった䞭田さんだが、䞀切怜蚎しなかったわけではない。2015幎頃、取匕先に倀䞊げの芁請をしに行ったずころ、盞手の瀟長からこんなこずを蚀われた。
「もやしなんおいくらでも安くできるだろ」
頭にきた。この野郎ず思った。
しかし、冷静になるず「ただ工倫できる䜙地があるかもしれない」ずも思えた。
そのひらめきを圢にしたのが、売䞊高が150億円ほどだった2020幎に、120億円を投資しお新蚭した囜内最倧芏暡の工堎「サラダコスモ逊老生産センタヌ」。か぀お幎商の3倍の借金を経隓した䞭田さんにずっお、この巚額投資も怖くはなかった。
この工堎では、もやし類は1日100トン、カット野菜は1日10䞇パックの補造が可胜だ。これたで人力に頌っおいた箱詰めを独自に機械化し、培底した自動化で人件費を玄50削枛するこずに成功。さらに、1日20トン出る野菜の残枣物を家畜飌料や堆肥に有効掻甚するこずで、1カ月あたり玄1000䞇円の凊理費を削枛した。
培底した効率化、そしお付加䟡倀の高い商品を぀くるこずで、副業から始たったもやし屋は売䞊263億円にたで成長した。
「あの頃は腹が立ったけど、蚀われた通りだなず思っお、この10幎できるこずをやっおきたおかげで今がある。今思えば、あの瀟長は恩人ですね」
■倢だったもやし原料の生産
もやしの原料である緑豆の皮子は珟圚、海倖からの茞入に100頌っおいる。日本で栜培するこずも可胜ながら、採算がたったく合わない。そこで、䞭田さんは工堎の建蚭ず同時䞊行で、皮子の自瀟生産をするため、2018幎にアルれンチンで山手線内偎の1.2倍にあたる広さの7700ヘクタヌルの蟲地を取埗した。
䞭田さんはこれたで同様の信念を貫き、無蟲薬・無化孊肥料での緑豆栜培に挑戊。しかし、無蟲薬栜培は思っおいた以䞊に難しく、玄8幎ずっず倱敗の連続だった。採算も合わせなければいけないため、普通栜培の緑豆も同時進行し、来幎には商品化できそうな芋通しだ。オヌガニック栜培にも匕き続き挑戊しおいく。
「自前で䜜った皮でもやしができるなんお、私にずっおは倢みたいなものです」
日本のもやし業界においおも、ほずんど䟋がない取り組み。ブロッコリヌスプラりトやかいわれ倧根などの商品はすでに自瀟生産の皮子を䜿甚しおいるが、今埌は取り扱っおいる商品の原料すべおを自瀟生産するのが目暙だ。
■300人埅ちの行列ができる芳光斜蚭
「自瀟商品を実際に食べおほしい」ずいう䞭田さんの想いから、サラダコスモの本瀟敷地内に教育型芳光斜蚭「岐阜䞭接川ちこり村以䞋、ちこり村」が2006幎に誕生した。ちこり村では、蟲家の手䜜り家庭料理を提䟛する「バヌバヌズダむニング」や地域の特産物の販売やクラフトゞンの補造などを行っおいる。
「バヌバヌズダむニング」は地域の女性たちが䜜る野菜たっぷりのランチビュッフェが人気で、この日も地元だけではなく愛知県などから来た人が順番を埅っおいた。取材に蚪れたのは平日にもかかわらず、30組の順番埅ちができおいたほどだ。
お客さんのお目圓おはレストランだけではない。パン販売のコヌナヌには、かごに䜕個も同じ商品を入れた人の姿が芋える。
䞭接川垂は栗の産地ずしお知られ、和菓子「栗きんずん」の発祥の地でもある。ちこり村では、この栗きんずん7個をふんだんに織り蟌んだしっずりもちふわ食感の「栗きんずん生食パン」を開発した。1æ–€2200円の高玚食パンだが、1日に2000斀以䞊売れるこずもあるずいう人気ぶりだ。
5本もかごに入れた人に話を聞くず、「これは自宅甚ず知り合いに頌たれた分です」ずのこず。
レストランず栗きんずん生食パンの人気もあり、ちこり村の来堎者数は幎間40䞇人にのがる。土日は300人埅ちの行列ができるこずもあり、珟圚のキャパでは察応できなくなっおきたため、数幎埌にはリニア新幹線・䞭接川駅の近くで、珟圚の10倍の広さになる堎所に移転する予定だ。
実は、ちこり村で働く人の玄6割が65歳以䞊だ。定幎埌にちこり村で働き始める人もいお、幎霢や䜓力に合わせた働き方ができるよう柔軟に察応しおいる。人口の玄3割が高霢者である䞭接川で、サラダコスモは高霢者雇甚の受け皿ずしお地域に貢献しおいるのだ。
■日本でいちばん倧切にしたい䌚瀟
䌚瀟がピンチのずきでも、挑戊がうたくいかなかったずきにも、䞭田さんの根底にある仏教の思想だけはブレなかった。
「圹に立぀人生を歩む」ずいう䞭田さんの想いを反映するかのように、サラダコスモは2024幎、第14回「日本でいちばん倧切にしたい䌚瀟」倧賞 地方創生倧臣賞を受賞した。
シニアや障がい者の積極的な雇甚、時短勀務などが評䟡されおの受賞だった。「3K」ずいわれ、キツい劎働環境で人材が集たりにくいずいわれるもやし業界だが、サラダコスモでは新卒採甚に安定した応募がある。幎間の離職率は6で、党囜平均の11.5を倧幅に䞋回っおいる厚生劎働省「雇甚動向調査」什和6幎。
「瀟員にはよく『町で䞀番玍皎できる䌚瀟になろう』ず蚀っおいたす。いいものを安く提䟛するこずでお客様に喜んでもらう。もっず蚀えば、よその商品を買うお客様にだっお圹に立たなければダメ。人のため、流れる空気のため、転がっおいる石のためにも圹に立぀ずいう想いはずっず倉わりたせん」

----------

äž­è°· 秋絵なかたに・あきえ

むンタビュヌラむタヌ

名叀屋垂圚䜏。むンドでの就業や事務職などを経お、2021幎よりラむタヌずしお掻動。経営者むンタビュヌや地方創生、地域䌁業の挑戊をテヌマに取材を重ねおいる。熱意を持っお行動する人々の物語を発信し、瀟䌚をよりよくするヒントを届けるこずを目指す。むンドダンスのパフォヌマヌずしおも掻動䞭。

----------

むンタビュヌラむタヌ äž­è°· 秋絵

✹